かつて英国にソフトマシーンという音楽家集団が存在したことから話を始めよう。彼らは、あらゆる意味で革新的であった。すべての既成の概念と価値観を、いとも簡単に、そして何気ない素振りで壊していくその大胆さは、彼らの精神がいかにあらゆるしがらみから自由であったかを物語るに充分であった。そして彼らは、存続することにすら執着することなく、分裂し、離散を繰返し、変化すること自体がまるで目的のようにさ迷い、そしてある日、当然のように消滅した。しかし、このストーリーは、決してここで終わってはいない。彼らのクリエイティブで在らんとする強靭な意志は、音楽の分野においては、アヴァンロックという範疇に属するミュージッシャンたちに、脈々と受け継がれることとなったのである。そして、この辺境の地、

日本においても、その末裔が存在したことを、ここに宣言するのである。

起業というもくろみも、これまた、果てることのない表現への衝動と言い換えることができないであろうか。いまだかってどこにも存在したことのない企業、それは夢見る温床、希望の

孵卵器、いまだかって誰も描いたことのない美しき絵画のような存在ではあるまいか。現実のビジネスのリアリティーにおののきながらも、再度、戦線を立て直し、かく在るべきとした理想のヴィジョンに向かって、自らを奮い立たせる時こそ、表現者としての至福の瞬間が訪れる時なのである。しかし、この表現者の不幸は、この現実という世界においてのみしか、成功の舞台が用意されていないということである。成功への道は、遠く、険しく、失敗への道は、一歩先に、奈落の谷は、深く、暗い。しかし、何度も自らに繰返して言い聞かせなければいけない、表現者としての起業家の「場」は、ここ(現実)においてしか在りえないということを。そして問題は、ここ(現実)でどれだけクオリティーを失わずに、ここ(現実)と妥協しながらも、なおかつどれだけクリエイティブで在りえるかだ。

企業(組織)という存在そのものも、その事業環境という外界とアクチュアルに関わり続けなければ、その事業生命を絶たれるという意味において、企業家と起業家とは基本的に同じ運命にある。そして、ビジネスは、その事業環境との境界において相互作用が行われる場(膜)として機能してきた。それは、あたかも細胞群からなる有機的生命が、自らの置かれた環境に適応しながら、盛衰を繰返してきたかのごとくである。そして今や、時代は、環境は、大きな変化のうねりの真っ只中にあると言ってもよい。その変化の向こうに窺い知りえる現実(自然)は、物質的な感触の乏しい、モノがしだいに消えていき、価値が見えないものに移行していく世界のように想えてならない。付加価値の源泉なるものが、物質(ハード)から、情報、知識、知恵、美(ソフト)へと移っていくプロセスに、我々は生きていることは確かなのである。そして、この新しい「富」を生み出す仕組み自体を創造することこそ、ここ(日本)で企業を営むことに求められる未来の「資質」なのである。

ソフト(知的財産)だけで自立した企業、そのことにこだわることにより、退路を自ら断ち、前進するしかない状況を創り出すこと、そしてそのカオスのような状況から、ある日、忽然と姿を顕わすソフトの出現を待つのである。そのソフトとは、個人の内面に宿る暗黙知(想い、感性、美意識、熟練、ノウハウなど)を呼び覚ますことから始めなければいけない。そして、それらの主観的で身体的な「知」を、個人(他者)や組織(集団)との対話や実践からなる社会的な相互作用を通して、より客観的で理知的な、そして市場において流通・交換可能な形式知(言語、概念、図像、形態、ソフトウェア、システムなど)へと変換させるプラクテイスこそ共有化され体験されなければならない。そして、そうして生み出されたソフト(無形資産)と、過去から継承されてきたハード(有形資産)との再びのフュージョン(融合)にこそ、ソフトマシーンの夢があり、私たちの見果てぬ夢があるのである。そして、その夢への実現への道とは、私たち自身への永遠の問いかけでもある心と物、伝統と革新、自由と秩序との分ち難い均衡と調和の接点を見つけ出す旅なのである。

 

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